朝日広告賞の二度目の授賞式でどうしてもやってみたかったこと

コピーライター

朝日広告賞の授賞式には実は2度出ています。1度めの授賞式で強く感じた「やってみたかったこと」のためにその後10年トライし続けることとなりました。

朝日広告賞の二度目の授賞式でやってみたかったこと

20代の頃、
関西の小さな
広告制作会社にいました。

社員は数人で
駆けだしということもあり、
お客様が来たらお茶くみをして、
トイレ掃除もして、
先輩に頼まれた
たばこやあんぱんのメモを持ち
自転車で買い出しするなど

雑用もこなしながら

月給7万5千円で
キャッチコピーを
書いていました。

でも、制作できるものは
チラシや小さなリーフレット。

初めての新聞広告は
5㎝角くらいの「突き出し広告」
でした。

大手広告代理店の新入社員なら
ささっと作らせてもらえるであろう
でっかい新聞広告や
ポスターなどありません。

広告賞に応募したくても、
出せるような作品は
ありませんでした。

けれど、たとえ仕事で
カッコいいのが作れなくても

勝手に制作した広告作品を
朝日新聞主催の、

朝日広告賞「一般の部」
なら応募できる、
ということを知りました。

出してみたいなー。

とは思うものの、
毎日残業、残業・・・

「一緒に組んで出そうよっ!」
と言ってくれる体力のある
デザイナーの人はいません。

朝から次の朝まで働いて、
夜食に
カップヌードル一個。

打合せは昼間で、
深夜はチラシやパンフレットの
値段のチェックをします。

小さな文字の注意書きや
値段を読み上げながら
確認するという細かな仕事を
たくさんするので、
夜が明ける頃はへとへとでした。

あ。ちなみに残業代はなかったです。

早く終わらせれば帰れるわけなので
どんどん仕事のスピードは速くなる。

のんびりやりたければ
朝まででもやっていい。

疲れたら床で寝てもいい。

納得できるまでやりたいタイプなので
意外にこのスタイルは気に入ってましたが

今から考えればこの就業スタイルは
ちょっと驚愕かもしれません。

その忙しすぎる日々の中で
「広告賞に出そう!」みたいな

優雅な気分の人は
いるわけない・・・。

でも、しかし。
それでも、どうしても応募してみたかった。

そこで、デザインなしでも
ひとりでも完成するものを、
と考えました。

「小型広告賞」という部門があったので
コピーは自分で考えて、文字だけを

画用紙に手書きして
「タイポグラフィー広告」として
応募することにしました。

締切前日、コピーの内容を
仕事終わりの深夜のオフィスで
ひとりねちねち考えていると、

中学卒業と同時にデザイナーになったという
ものすごく若い男の子がデスクに近づいてきて

「今からだとデザインしている
時間はないけど新聞紙面を
コラージュしたら
何かうまくできるかもしれません」

と言い、
自分のやるべき仕事を終えて

すっかり朝になってから
レイアウトして
仕上げてくれました。

それが小型広告賞に入賞しました。

授賞式の日、ひかり号で「東京」へ行って
興奮しました。

準グランプリを受賞した女性デザイナーが
壇上でスポットライトを浴びて
スピーチしています。

壇上でスピーチできるのは、
グランプリと準グランプリのみ。

彼女は都会的な有名ブランドの
スーツを着ていて

壇上に上がる背中がシュッとしていて
階段をのぼるとき、
光沢のあるスーツの生地が輝きました。

「モデルさんみたい・・・」
と思いました。

田舎者の私は田舎っぽい
ワンピース。

観客席の後ろの方から見上げながら
それはとてもまぶしい光景でした。

座ったままスピーチに拍手しながら
ぼわーと妄想しました。

「いつか着物で壇上に上がってみたい・・・」

結局、着物ではありませんでしたが

銀座のデパートで買った光る素材の
10万円のスーツを着てライトを浴び、
壇上でスピーチしたのは、
それから10年後のことでした。

ステージで光を浴びると
まぶしくて手をかざしても
観客席は見えません。

スピーチの内容は忘れましたが
テンション爆上がり。

二度目の授賞式まで
何度も何度も転職して
10年も応募し続けていたのは、

「着物を着て壇上へ上がりたかった」
から。と思っていましたが

スピーチしながら、
ああ、この光が浴びたかったのだ、と
よくわかったのでした。

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